死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。
不幸に対する特効薬はありません。 ただ昔から退屈な忍耐とか、あきらめといった美徳があるのみです。
失望に終わった恋は、 次の恋に対するちょっとした免疫になる。
結婚生活――この寂しい海原を乗り越えて行く羅針盤はまだ発見されていない。
孤独でいかに暮らすかを知らない者は、 忙しい群集の中でいかに忙しく暮らすかも知らない。
もっとも親しき友人というのは、つねに兄弟のように退屈である。
時のある間にバラの花を摘むがよい。 時は絶えず流れ行き、 今日微笑んでいる花も明日には枯れてしまうのだから。
他人のために暮らすのはもうたくさんだ。 せめてこのわずかな余生をみずからのために生きようではないか。
友情のための最大の努力は、 友人に我々の欠点を見せることではない。 彼に彼の欠点を悟らせることだ。
「お酒は?」「飲みません。現実から逃避する必要がないので……」 「私も現実には満足してますが、うまい酒は現実の一部ですよ」
人生の目的に対する疑問は無限といってよいほどにしばしば提出されてきているが、 ついぞ満足できるような答えが与えられたことはない。 また、そのような答えはおそらく決して許されないものなのだろう。
人生は一頭の馬である。軽快なたくましい馬である。 人間はそれを騎手のように大胆に、しかも細心に取り扱わなければならない。
夫婦が長続きする秘訣だって? それは、一緒にいる時間をなるべく少なくすることさ。
なぜ美人はいつもつまらぬ男と結婚するのだろう。 賢い男は美人と結婚しないからだ。
金は天下のまわりものだ。いつもこちらをよけてまわるのが気にくわないが。
女は二種類に分けられる。 結婚だけを夢見ている独身の女性と離婚だけを夢見ている既婚の女に。
彼は私の北であり、南であり、西であり、東であった。 私の出勤日であり、日曜の休息であった。 私の正午であり、真夜中であり、 私のおしゃべりであり、私の歌であった。 あの愛が永遠に続くと思ったけれど、私は間違っていた。
たいていの男は、割と簡単に「愛してるよ」と言う。 しかし、本当に難しいのは「僕と結婚してくれるかい」と言わせることだ。