男というものは元来多妻主義だ。 心ある女は、男の気まぐれによる過失をいつも大目に見る。
女は男よりも利口である。というのも、女は知ることは少なく、 理解することがより多いから。
私が女より男を好きなのは、彼らが男であるからではない。 彼らが女でないからである。
醜い女はいない。 ただ、どうすればかわいく見えるかを知らない女はいる。
男が女を愛する第一の条件は、 その女が自分の気に入るかどうか、ということである。 ところが女にあっては、もう一つの条件がいる。 それは、自分の選択が他人に気に入られるかどうかということである。
老年は男女間の友情に最も適した時代である。 なぜなら彼らはその頃には、 ちょうど男であり女であることを止めてしまったからである。
男はある女の愛人でありうるときには、その女の友人である事はない。
つまらないことに熱情を感じてよく記憶していること、 これが女の一番の特徴である。 数年前の友達と交わした世間話の中に出てきたこまごましたくだらないことを その気になればいつでも正確に話せるのである。 しかもやりきれないことに、女はいつでもその気になるのである。
学問のある人間が大勢集まってあらゆる機械や薬品を考え出したが、 いまだに女性が原因で起こる病気の薬を考え出そうとした学者はいない。
愛している女は、男から愛されていないのではないかといつも恐れている。 愛していない女は、男から愛されているといつもうぬぼれている。
女性はどこから見ても低劣であり、 女性固有の領域においても全くの無能力であるにもかかわらず、 いぜんとして女性がハバをきかしているのは、結局は男性が愚鈍だからである。
女は大きな危害は許すが、小さい侮辱は決して忘れない。
私には女たちが象と同じように思える。 眺めるのは好きだが、家に欲しいとは思わない。
月にむかって、 『そこにとどまれ!』などという者があろうか。 若い女の心にむかって 『一人を愛して心変わりせぬことだ』などという者があろうか。
女性にとって満足のいくただ一つの運命は、幸福な結婚である。