一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ
寝床につくときに、 翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。
もっとも平安な、そして純粋な喜びの一つは、労働をした後の休息である。
幸福であるだけでは十分ではない。 他人が不幸でなければならない。
幸福は小鳥のようにつかまえておくがいい。 できるだけそっと、ゆるやかに。 小鳥は自分が自由だと思い込んでさえいれば、 喜んでお前の手の中にとどまっているだろう。
自分自身を幸福だと思わない人は、決して幸福になれない。
他人の幸福をうらやんではいけない。 なぜならあなたは、彼の密かな悲しみを知らないのだから。
幸せでありたいというのか。まず苦悩することを覚えよ。
コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、 それを発見しつつあった時である。 幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない
我々は、 幸福になるためによりも、 幸福だと人に思わせるために四苦八苦しているのである
人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、 真に向上するのは不運の時である。
幸福というものは、一人では決して味わえないものです。
幸福の話をこれほどまでに聞かされていなかったら、 人間はもっと幸福だったろう。
今この瞬間にあなたが無常の喜びを感じていないとしたら、 理由は一つしかない。 自分が持っていないもののことを考えているからだ。 喜びを感じられるものは、全てあなたの手の中にあるというのに。
こいつが最初三十分ばかりの幸福なら、 財布をはたいてでも買ってやるところだよ。 だがね、生涯つづく幸福!これには到底耐えられないね。 この世の地獄だ。
誰もが幸福についてしゃべる。 しかしそれを知っている人はほとんどいない。
幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、 不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。