青春の時期は、いつの時代でも恥多く悩ましいものだ。 もう一度やれと言われてもお断りしたい。
青春期を何もしないで過ごすよりは、青春期を浪費する方がましである。
どんなに暑い陽が照りつけていても、ポケットに十円しかなくても、 僕は輝かしい気持ちで生きている。
青春ほど死の翳(かげ)を負い、死と背中合せな時期はない。
「青春が楽しい」というのは迷想である。 青春を失った人達の迷想である。
僕は二十歳だった。 それが人生で一番美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい。
人は十五歳の時たくさんいろいろな事を考える。 そして人生の問題を殆ど発見する。 その後は、それに慣れて、だんだんにそれを忘れていく。
若いときに苦い水を飲まなかったやつは、ひだちが悪いよ。
青春の失策は、壮年の勝利や老年の成功よりも好ましいものだ。
大多数の若者は、そのぶしつけと無作法を、 天真爛漫のつもりでいる。
青年よ、大志を抱け! それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、 また世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。 人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるため、 青年よ大志を抱け。
青年は完全なるものは愛さない。 なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、 彼を怒らせるか退屈させるからである。
年をとってから暖まりたいものは、 若いうちに暖炉を作っておかなければならない。
子供っぽい空想遊びはそれで終わった。成長とともに信じる心は薄れる。 そう望んだからではなく、それが現実なのだ。
近頃の若い者云々という中年以上の発言は、 おおむね青春に対する嫉妬の裏返しの表現である。
青年にすすめたいことは、ただ三語につきる。 すなわち働け、もっと働け、あくまで働け。