芸術でも技術でも、いい仕事をするには、 女のことが分かってないとダメなんじゃないかな。
人生にはいやなことがいっぱいある。中でも一番いやなものは、男同士の晩餐だ。
男にとっては今日一日だけの浮気心にすぎないものに、 女はその一生を賭ける。
男というものはいつでもそうだが、我が家から離れている時が一番陽気なものだ。
男にほれられるような男でなければ、女にはほれられない。
老年は男女間の友情に最も適した時代である。 なぜなら彼らはその頃には、 ちょうど男であり女であることを止めてしまったからである。
これが男というものです。計画だけはみんな悪者ですが、 そのくせ実行となると、弱気になって、それを誠実だというのです。
もう一日くらい待ったなら、 自分の婚約者よりももっと好みに合った 理想的な女性が見つかるかもしれないという気持ち。 どんな男でもこうした気持ちを抱いているものだ。
四十歳をすぎると、男は自分の習慣と結婚してしまう。
男にふさわしいのは権威であり、女にふさわしいのは威厳である。
勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである。
男というものは元来多妻主義だ。 心ある女は、男の気まぐれによる過失をいつも大目に見る。
この地上には、 男性だけがその費用をひきうけるにしては、あまりに美人が多すぎる。
分別のある男は女を軽く扱い、一緒に冗談を言い、歌うだけである。 重大な事については女に相談する事も任せることも決してしない。
男はある女の愛人でありうるときには、その女の友人である事はない。
男は常に女の初恋の人でありたがる。それが男の無様な虚栄である。
女は男に欠点があるからこそ愛するのだ。 男に欠点が多ければ女は何もかも許してくれる。 我々の知性さえもだ。
女がいなかったら、男は神のように生きていくだろう。
男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。 そしてまた、男は女を愛するが、それは遊びのなかで最も危険なものであるからだ。
苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である