四十歳をすぎると、男は自分の習慣と結婚してしまう。
『社会的な価値観』がある。そして『男の価値』がある。昔は一致していたがその“2つ”は現代では必ずしも一致はしてない。“男”と“社会”はかなりズレた価値観になっている…
だが“真の勝利への道”には『男の価値』が必要だ
情熱家より、冷淡な男のほうが簡単に女に夢中になるものだ。
愛の舞台に上って馬鹿らしい役割を演じるのは、いつでも男だ。
苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である
分別のある男は女を軽く扱い、一緒に冗談を言い、歌うだけである。 重大な事については女に相談する事も任せることも決してしない。
男というものは、女房が小難しいことを喋っているときより、 自分の食卓にうまい料理があるときのほうがもっと嬉しいものである。
女がいなかったら、男は神のように生きていくだろう。
男にふさわしいのは権威であり、女にふさわしいのは威厳である。
男というものは元来多妻主義だ。 心ある女は、男の気まぐれによる過失をいつも大目に見る。
女は素晴らしい楽器である。 恋がその弓で、男がその演奏者である。
床の上で自分の子供の電気機関車をいじくって三十分を空費することのできる男は、 どんな男でも実際は悪い人間ではない。
男というものはつねに女の友であることは決してありません。 他に愛する女を持っているときは別ですが。
自己侮蔑という男子の病気には、 賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である。
男の人って、一度女を愛したとなると、その女のためなら何だってしてくださるでしょ。 たった一つ、してくださらないもの、それはいつまでも愛しつづけるってことよ。
一人の女しか愛さない男はしばしばもっとも幸福な生活を送るが 死ぬときはもっとも孤独な死にかたをする。
男というものはいつでもそうだが、我が家から離れている時が一番陽気なものだ。
もう一日くらい待ったなら、 自分の婚約者よりももっと好みに合った 理想的な女性が見つかるかもしれないという気持ち。 どんな男でもこうした気持ちを抱いているものだ。
芸術でも技術でも、いい仕事をするには、 女のことが分かってないとダメなんじゃないかな。