男にとっては今日一日だけの浮気心にすぎないものに、 女はその一生を賭ける。
自己侮蔑という男子の病気には、 賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である。
この地上には、 男性だけがその費用をひきうけるにしては、あまりに美人が多すぎる。
分別のある男は女を軽く扱い、一緒に冗談を言い、歌うだけである。 重大な事については女に相談する事も任せることも決してしない。
人生にはいやなことがいっぱいある。中でも一番いやなものは、男同士の晩餐だ。
ライオンの雄にはたてがみがあり、孔雀には豪勢な羽があるが、 人間の男には三つボタンの背広しかない。
愛の舞台に上って馬鹿らしい役割を演じるのは、いつでも男だ。
男は自分の知っているたった一人の女、つまり自分の妻を通して、 女の世界全体をいい加減に判断している。
もう一日くらい待ったなら、 自分の婚約者よりももっと好みに合った 理想的な女性が見つかるかもしれないという気持ち。 どんな男でもこうした気持ちを抱いているものだ。
『社会的な価値観』がある。そして『男の価値』がある。昔は一致していたがその“2つ”は現代では必ずしも一致はしてない。“男”と“社会”はかなりズレた価値観になっている…
だが“真の勝利への道”には『男の価値』が必要だ
芸術でも技術でも、いい仕事をするには、 女のことが分かってないとダメなんじゃないかな。
恋をする男は自分の能力以上に愛されたいと願ってる人間である。
それが彼を滑稽に見せる理由である。
男というものはつねに女の友であることは決してありません。 他に愛する女を持っているときは別ですが。
私が女より男を好きなのは、彼らが男であるからではない。 彼らが女でないからである。
男というものは自分の愛している女を憎み、どうでもよい女を愛するものだ。
男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。 そしてまた、男は女を愛するが、それは遊びのなかで最も危険なものであるからだ。
男は人生を知るのが早すぎるし、女は知るのが遅すぎる。
君の人生に女が入ってくる。 素晴らしいことだ。出ていってくれたらもっと幸福なのに。
女がいなかったら、男は神のように生きていくだろう。