これが男というものです。計画だけはみんな悪者ですが、 そのくせ実行となると、弱気になって、それを誠実だというのです。
男というものはいつでもそうだが、我が家から離れている時が一番陽気なものだ。
女性の愛というものは、相手に自分を捧げることによって完成され、男性の愛は相手から奪うことによって完成される。
女は素晴らしい楽器である。 恋がその弓で、男がその演奏者である。
男は常に女の初恋の人でありたがる。それが男の無様な虚栄である。
男の人って、一度女を愛したとなると、そ の女のためならなんだってしてくださるでしょ。 たった一つ、してくださらないもの。それはいつまでも愛しつづけるってことよ。
勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである。
床の上で自分の子供の電気機関車をいじくって三十分を空費することのできる男は、 どんな男でも実際は悪い人間ではない。
この地上には、 男性だけがその費用をひきうけるにしては、あまりに美人が多すぎる。
恋をする男は自分の能力以上に愛されたいと願ってる人間である。
それが彼を滑稽に見せる理由である。
男の人生にはいくつかの節目がある。 童貞の喪失、結婚、子供の誕生、好きな女の笑顔。
ライオンの雄にはたてがみがあり、孔雀には豪勢な羽があるが、 人間の男には三つボタンの背広しかない。
愛の舞台に上って馬鹿らしい役割を演じるのは、いつでも男だ。
男というものは、女房が小難しいことを喋っているときより、 自分の食卓にうまい料理があるときのほうがもっと嬉しいものである。
私は女性が愚か者であるということを否定はいたしませんが、 全能の神は男性につりあうように女性を作られたのです。
男というものは自分の愛している女を憎み、どうでもよい女を愛するものだ。
女がいなかったら、男は神のように生きていくだろう。
どんな男でも、ある女性を自分のものにしようとするときは、 その人が自分の愛に最もふさわしい女性であり、 自分がこんなに夢中になるのももっともなことだと思いこんでいるのである。 そして、それが迷いであったと気づくのは、 あとになって別の女を愛するようになったときである。
『社会的な価値観』がある。そして『男の価値』がある。昔は一致していたがその“2つ”は現代では必ずしも一致はしてない。“男”と“社会”はかなりズレた価値観になっている…
だが“真の勝利への道”には『男の価値』が必要だ