女性はたとえ自分を愛する男が野獣のようなものであろうと、 愛され崇められれば無関心ではいられないものだ。
女は深く見るが、男は遠くを見る。 男にとっては世界が自分で、女にとっては自分が世界。
現代の女性は、あらゆることを理解する。 ただ、自分の亭主のことだけは理解しない。
なぜ美人はいつもつまらぬ男と結婚するのだろう。 賢い男は美人と結婚しないからだ。
女は素晴らしい楽器である。 恋がその弓で、男がその演奏者である。
女達は、なぜとか、どうしてとかいう事を抜きにして愛されることを願う。 可愛らしいとか、善良だとか、上品だとか、頭がいいとかいう理由ではなく、 彼女らは彼女自身でありたいからだ。
「あなたは愛してるって言ってくれたことがないのね」 「そんなこと知ってると思ってた」 「女は、それを聞きたいものなのよ」
女も凡庸な作家も、自画自賛するほどには世間から賞賛されない。
女は自分の美点のために愛されることにときとして同意するが、 常に好むのは、自分の欠点のために愛してくれる人のほうだ。
女性が弱いというのは嘘である。 世の中に何が強いと言って、無神経な事ほど強いことはない。
女は愛されることを求め、理解されることを求めない。
美しい女にはやがて飽きがくる。善良な女には決して飽きはこない。
女は計算が大好きだ。 自分の年齢を二で割り、自分のドレスの値段を倍にし、 夫の給料を三倍に言い、一番の女友達の年齢にいつも五を足すのである。
ああ、世の中には面白くないことがたくさんある。 神様、あなたは女までお作りになりました。
もし神が女性に男性を支配させたいと考えていたなら、 神はアダムの頭から女性を創ったであろう。 また、もし神が女性を男性の奴隷にしようと考えていたなら、 アダムの足から女性を作ったであろう。 だが、神はアダムのわき腹から女性を創り給うた。