友情の基礎を作るには、まず女と恋をしなければならない。
愛している女は、男から愛されていないのではないかといつも恐れている。 愛していない女は、男から愛されているといつもうぬぼれている。
男がどんな理屈を並べても、女の涙一滴にはかなわない。
女心はどんなに悲しみで一杯になっても、 お世辞や恋を受け入れる片隅がどこかに残っているものだ。
女は素晴らしい楽器である。 恋がその弓で、男がその演奏者である。
女達は、なぜとか、どうしてとかいう事を抜きにして愛されることを願う。 可愛らしいとか、善良だとか、上品だとか、頭がいいとかいう理由ではなく、 彼女らは彼女自身でありたいからだ。
もし神が女性に男性を支配させたいと考えていたなら、 神はアダムの頭から女性を創ったであろう。 また、もし神が女性を男性の奴隷にしようと考えていたなら、 アダムの足から女性を作ったであろう。 だが、神はアダムのわき腹から女性を創り給うた。
なぜ美人はいつもつまらぬ男と結婚するのだろう。 賢い男は美人と結婚しないからだ。
女は男よりも利口である。というのも、女は知ることは少なく、 理解することがより多いから。
女は自分の美点のために愛されることにときとして同意するが、 常に好むのは、自分の欠点のために愛してくれる人のほうだ。
女性の愛というものは、相手に自分を捧げることによって完成され、男性の愛は相手から奪うことによって完成される。
美しい女にはやがて飽きがくる。善良な女には決して飽きはこない。
女性という貨幣は多くの悩みを癒す。 もしもそれを、適度にそして適時に使用するならば。
男にふさわしいのは権威であり、女にふさわしいのは威厳である。
女はたとえ百人の男にだまされても、百一人目の男を愛するだろう。