若くても美しくなく、美しくてもわかくなければ、なんにもなりはしない。
子供っぽい空想遊びはそれで終わった。成長とともに信じる心は薄れる。 そう望んだからではなく、それが現実なのだ。
青春の失策は、壮年の勝利や老年の成功よりも好ましいものだ。
ああ!青春!―― 人は一生に一時しかそれを所有しない。 残りの年月はただそれを思い出すだけだ。
青春の特権といえば、一言も以ってすれば無知の特権であろう。
青春とは、奇妙なものだ。 外部は赤く輝いているが、内部ではなにも感じられないのだ。
四十歳は青春の老年であり、五十歳は老年の青春である。
老人はあらゆる事を信じる。 中年はあらゆる事を疑う。 青年はあらゆる事を知っている。
僕は二十歳だった。 それが人生で一番美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい。
二十歳のときに詩人であるものは、詩人ではなく、ただの人間にすぎない。 二十歳を過ぎて詩人であれば、そのときかれは詩人である。
駒鳥は巣立ちしてまもなく林の中を一直線に飛翔するという。 そして多くの若い駒鳥が樹木に衝突して地に落ちる。
人は十五歳の時たくさんいろいろな事を考える。 そして人生の問題を殆ど発見する。 その後は、それに慣れて、だんだんにそれを忘れていく。
近頃の若い者云々という中年以上の発言は、 おおむね青春に対する嫉妬の裏返しの表現である。
私も青春のことを懐かしみ、若い人を羨むことがあるが、 しかし、もう一度若くなって世の中を渡ってこなければならぬと思うと、 何よりも先に煩わしい思いがする。
青春の時期は、いつの時代でも恥多く悩ましいものだ。 もう一度やれと言われてもお断りしたい。
青年よ、大志を抱け! それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、 また世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。 人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるため、 青年よ大志を抱け。
青春時代にさまざまな愚かさを持たなかった人間は、 中年になってからなんの力も持たないだろう。
若い者も美しい。 しかし、老いたる者は若い者よりさらに美しい。