青年は老人を阿呆だというが、 老人も青年を阿呆だと思っている。
ああ!青春!―― 人は一生に一時しかそれを所有しない。 残りの年月はただそれを思い出すだけだ。
青年よ、大志を抱け! それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、 また世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。 人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるため、 青年よ大志を抱け。
十六歳で美しいのは自慢にはならない。 でも六十歳で美しければ、それは魂の美しさだ。
人は十五歳の時たくさんいろいろな事を考える。 そして人生の問題を殆ど発見する。 その後は、それに慣れて、だんだんにそれを忘れていく。
青春の失策は、壮年の勝利や老年の成功よりも好ましいものだ。
青春期を何もしないで過ごすよりは、青春期を浪費する方がましである。
酒飲みは自分では節酒していると思っているように、 青年たちはみずからを利口だと思いがちだ。
若くても美しくなく、美しくてもわかくなければ、なんにもなりはしない。
ダイヤモンドの行商人がらってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。 俺らが欲しいのは今だけです。
僕は二十歳だった。 それが人生で一番美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい。
「青春が楽しい」というのは迷想である。 青春を失った人達の迷想である。
青年は完全なるものは愛さない。 なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、 彼を怒らせるか退屈させるからである。
年をとってから暖まりたいものは、 若いうちに暖炉を作っておかなければならない。
駒鳥は巣立ちしてまもなく林の中を一直線に飛翔するという。 そして多くの若い駒鳥が樹木に衝突して地に落ちる。
近頃の若い者云々という中年以上の発言は、 おおむね青春に対する嫉妬の裏返しの表現である。
二十歳のときに詩人であるものは、詩人ではなく、ただの人間にすぎない。 二十歳を過ぎて詩人であれば、そのときかれは詩人である。
どんなに暑い陽が照りつけていても、ポケットに十円しかなくても、 僕は輝かしい気持ちで生きている。