青春は単なる人生の花盛りではなく、 来るべき結実の秋への準備の季節である。
青春時代にさまざまな愚かさを持たなかった人間は、 中年になってからなんの力も持たないだろう。
「青春が楽しい」というのは迷想である。 青春を失った人達の迷想である。
私も青春のことを懐かしみ、若い人を羨むことがあるが、 しかし、もう一度若くなって世の中を渡ってこなければならぬと思うと、 何よりも先に煩わしい思いがする。
駒鳥は巣立ちしてまもなく林の中を一直線に飛翔するという。 そして多くの若い駒鳥が樹木に衝突して地に落ちる。
青年は完全なるものは愛さない。 なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、 彼を怒らせるか退屈させるからである。
青年は老人を阿呆だというが、 老人も青年を阿呆だと思っている。
ダイヤモンドの行商人がらってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。 俺らが欲しいのは今だけです。
年をとってから暖まりたいものは、 若いうちに暖炉を作っておかなければならない。
青春の特権といえば、一言も以ってすれば無知の特権であろう。
青春の失策は、壮年の勝利や老年の成功よりも好ましいものだ。
若くても美しくなく、美しくてもわかくなければ、なんにもなりはしない。
僕は二十歳だった。 それが人生で一番美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい。
大多数の若者は、そのぶしつけと無作法を、 天真爛漫のつもりでいる。
どんなに暑い陽が照りつけていても、ポケットに十円しかなくても、 僕は輝かしい気持ちで生きている。