ダイヤモンドの行商人がらってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。 俺らが欲しいのは今だけです。
十六歳で美しいのは自慢にはならない。 でも六十歳で美しければ、それは魂の美しさだ。
青春の時期は、いつの時代でも恥多く悩ましいものだ。 もう一度やれと言われてもお断りしたい。
四十歳は青春の老年であり、五十歳は老年の青春である。
青春は単なる人生の花盛りではなく、 来るべき結実の秋への準備の季節である。
老人はあらゆる事を信じる。 中年はあらゆる事を疑う。 青年はあらゆる事を知っている。
人は十五歳の時たくさんいろいろな事を考える。 そして人生の問題を殆ど発見する。 その後は、それに慣れて、だんだんにそれを忘れていく。
青春期を何もしないで過ごすよりは、青春期を浪費する方がましである。
年をとってから暖まりたいものは、 若いうちに暖炉を作っておかなければならない。
青年は完全なるものは愛さない。 なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、 彼を怒らせるか退屈させるからである。
魂のこもった青春は、 そうたやすく滅んでしまうものではない。
若い時われわれは学び、年をとってわれわれは理解する。
子供っぽい空想遊びはそれで終わった。成長とともに信じる心は薄れる。 そう望んだからではなく、それが現実なのだ。
若いころは希望の火が赤々と燃えていた。 歳をとると口火がついているだけで幸せだ。
若い者も美しい。 しかし、老いたる者は若い者よりさらに美しい。
大多数の若者は、そのぶしつけと無作法を、 天真爛漫のつもりでいる。
ああ!青春!―― 人は一生に一時しかそれを所有しない。 残りの年月はただそれを思い出すだけだ。