青年は完全なるものは愛さない。 なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、 彼を怒らせるか退屈させるからである。
青春時代にさまざまな愚かさを持たなかった人間は、 中年になってからなんの力も持たないだろう。
老人はあらゆる事を信じる。 中年はあらゆる事を疑う。 青年はあらゆる事を知っている。
青春の失策は、壮年の勝利や老年の成功よりも好ましいものだ。
若くても美しくなく、美しくてもわかくなければ、なんにもなりはしない。
若い時われわれは学び、年をとってわれわれは理解する。
十六歳で美しいのは自慢にはならない。 でも六十歳で美しければ、それは魂の美しさだ。
青春期を何もしないで過ごすよりは、青春期を浪費する方がましである。
青年は老人を阿呆だというが、 老人も青年を阿呆だと思っている。
二十歳のときに詩人であるものは、詩人ではなく、ただの人間にすぎない。 二十歳を過ぎて詩人であれば、そのときかれは詩人である。
駒鳥は巣立ちしてまもなく林の中を一直線に飛翔するという。 そして多くの若い駒鳥が樹木に衝突して地に落ちる。
一般に青年が主張する内容は正しくない。 しかし、青年がそれを主張するそのこと自体は正しい。
酒飲みは自分では節酒していると思っているように、 青年たちはみずからを利口だと思いがちだ。
もし私が神だったら、 私は青春を人生の終わりにおいただろう。
年をとってから暖まりたいものは、 若いうちに暖炉を作っておかなければならない。
若い者も美しい。 しかし、老いたる者は若い者よりさらに美しい。
ダイヤモンドの行商人がらってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。 俺らが欲しいのは今だけです。