老人はあらゆる事を信じる。 中年はあらゆる事を疑う。 青年はあらゆる事を知っている。
十六歳で美しいのは自慢にはならない。 でも六十歳で美しければ、それは魂の美しさだ。
僕は二十歳だった。 それが人生で一番美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい。
もし私が神だったら、 私は青春を人生の終わりにおいただろう。
「青春が楽しい」というのは迷想である。 青春を失った人達の迷想である。
青年にすすめたいことは、ただ三語につきる。 すなわち働け、もっと働け、あくまで働け。
どんなに暑い陽が照りつけていても、ポケットに十円しかなくても、 僕は輝かしい気持ちで生きている。
二十歳のときに詩人であるものは、詩人ではなく、ただの人間にすぎない。 二十歳を過ぎて詩人であれば、そのときかれは詩人である。
四十歳は青春の老年であり、五十歳は老年の青春である。
青年は老人を阿呆だというが、 老人も青年を阿呆だと思っている。
青春とは、奇妙なものだ。 外部は赤く輝いているが、内部ではなにも感じられないのだ。
酒飲みは自分では節酒していると思っているように、 青年たちはみずからを利口だと思いがちだ。
若い時われわれは学び、年をとってわれわれは理解する。
人は十五歳の時たくさんいろいろな事を考える。 そして人生の問題を殆ど発見する。 その後は、それに慣れて、だんだんにそれを忘れていく。
青春の特権といえば、一言も以ってすれば無知の特権であろう。
青春期を何もしないで過ごすよりは、青春期を浪費する方がましである。