世間一般の考えに従って生活することはごく易しい。 また、自分の事だけ考えて孤独の生活を送る事もごく易しい。 だが悟りを開いた人間とは、群集の真っ只中にありながらも、 自立の醍醐味を心ゆくまで味わうことのできる人間である。
死は孤独であるかもしれない。 しかし、生きているほど孤独であるはずがない。
真の幸福は孤独なくしてはありえない。 堕天使が神を裏切ったのは、天使たちの知らない孤独を望んだために違いない。
孤独の生活の目的とは、もっとゆうゆうと、 もっと気ままに暮らすというただ一つであると私は信ずる。
孤独は山になく、街にある。 一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の”間”にある。
孤独は厚い外套である。 しかし、心はその下で凍えている。
一人では何も出来ぬ。 だが、まず誰かがはじめなければならぬ。
どこにも人を引きつける所を持たないことを自覚している人間は、 それについてくよくよとあせるより、 自然のままで一人で生きているほうが賢明である。
私達の一切の悩みは、 私達が孤独で存在し得ないということから生まれてくる。
孤独とは、港を離れ、海を漂うような寂しさではない。 本当の自己を知り、この美しい地球上に存在している間に、 自分たちが何をしようとしているのか、 どこに向かおうとしているのを知るためのよい機会なのだ。
社会が性格にとって有益なものであると同じように、 孤独は想像力にとって有益なものである。
人はだれしも、 自分自身の生涯を一人で生き、 自分自身の死を一人で死ぬものです。
私を静かにさせておいてくれ。 私が静かにそっとしておれるものなら、いますぐにでも、全世界をだって、 タダの一文で売り渡したいくらいものだ。
この世の中で一番強い人間とは、孤独で、ただ一人で立つ者なのだ!
私達は竹馬に乗っても何もならない。 なぜなら、竹馬に乗ってもやはり自分の足で歩かなければならないからである。 そして、世界で一番高い玉座に上っても、 やはり自分の尻の上に座っていることに変わりはない。
孤独は内に閉じこもることではない。 孤独を感じるとき、試みに、自分の手を伸ばして、じっと見詰めよ。 孤独の感じは急に迫ってくるであろう。