人生は食パンのような普通の年が多いが、ハムや辛子の年もある。 辛子も一緒に噛み締めなきゃならん。
まだ死ぬ気はない。 だが、もし死ぬとしたら、時と場所は自分で選ぶ。
スプートニクに乗って、宇宙に飛ばされたライカ犬のことを思えば、 僕の不幸なんてちっぽけなモノだ。
僕は本を買うとまず結末を読む。読みおえる前に死ぬと困るから。
誰かを愛して誰かを失った人は、何も失っていない人よりも美しい。
「最近は親しい友人にもだまされる」 「それが友人というものだ」
「どこかで会ったことがある?」「いや、ないわ」「そう、残念だ」
ヘミングウェイが書いていた。 『この世は素晴らしい。戦う価値がある』と。 後半の部分は賛成だ
人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。 だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。 自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、 あと何回心に思い浮かべるか?せいぜい4,5回思い出すくらいだ。 あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。 だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。
鼠の気持ちではチーズしか得られない。 大きい獲物を得ようとするなら狼の気持ちになれ。
皮膚の色が裁判の判断材料になるなら、裁かれるべきなのは法廷だ。
意味を求めたってはじまらないよ。人生は欲望だ。意味などどうでもいい。
人間は大きな幸せを前にすると、急に臆病になる。幸せを勝ち取ることは、不幸に耐えることより勇気が要る