どんなに愛しているかを話すことができるのは、 すこしも愛してないからである。
愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはいけない。
愛することによって失うものは何もない。 しかし、愛することを怖がっていたら、何も得られない。
情念は過度でなければ美しくありえない。 人は愛しすぎないときには十分に愛していないのだ。
真実の愛は幽霊のようなものだ。 誰もがそれについて話をするが、それを見た人はほとんどいない。
「人生は重大なものだ。快楽などデザートだ」 「あら、デザートは好きよ」
愛情には一つの法則しかない。それは愛する人を幸福にすることだ。
愛する人に本当のことを言われるよりも、 だまされているほうがまだ幸せなときがある。
一緒に泣いた時に、 はじめてお互いがどんなに愛し合っているのかが分かるものだ。
愛する――それはお互いに見つめ合うことではなく、 いっしょに同じ方向を見つめることである。
愛されているという驚きほど、神秘的な驚きはない。 それは人間の肩に置かれた神の指だ。
愛情とはからだとからだをよせて、さむさをあたためあうことなのだ。
分かっているでしょうが、 手紙を書くのは相手に書くので自分に書くのじゃありません。 だから自分の考えていることを言うよりは、 なるべく相手を喜ばせることを書くようになさい。
魅力あるもの、キレイな花に心を惹かれるのは、誰でもできる。 だけど、色あせたものを捨てないのは努力がいる。 色のあせるとき、本当の愛情が生まれる。
あまりしつこくつきまとわれる愛は、ときに面倒になる。 それでもありがたいとは思うがね。