人生は道路のようなものだ。 一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。
青春とは、奇妙なものだ。 外部は赤く輝いているが、内部ではなにも感じられないのだ。
結婚とはセルフサービスの食事のようなものだ。 自分の欲しい料理を選んだ後で、隣りの人たちのお皿の中身を見る。 そして、どうして自分は彼らと同じ物を選ばなかったのだろうと自問するのである。
悪い仲間は犬のようなものだ。 一番好きな相手を一番ひどく汚してしまう。
恋愛というものは、振幅が大きくて、情熱の波に弄ばれます。 友情は静かで安定した流れを辿ります。
人生は、片手に幸福の黄金の冠を持ち、片手には苦痛の鉄の冠を持っている。 人生に愛されたものは、この二つの冠を同時に渡されるのだ。
今この瞬間にあなたが無常の喜びを感じていないとしたら、 理由は一つしかない。 自分が持っていないもののことを考えているからだ。 喜びを感じられるものは、全てあなたの手の中にあるというのに。
人間は自己の運命を創造するのであって、 これを迎えるものではない。
あちこち旅をしてまわっても、自分自身から逃れられるものではない。
人生を恐れてはいけない。 人生は生きるに値するものだと信じなさい。 その思いが、事実を作り出す手助けとなるであろう。
人生にはいやなことがいっぱいある。中でも一番いやなものは、男同士の晩餐だ。
運命が明日なにを決定するかを問うな。 瞬間こそ我々のものである。 さあ、瞬間を味わおうではないか!
若いときの自分は、金こそ人生でもっとも大切なものだと思っていた。 今、歳をとってみると、その通りだと知った。
友人は服のようなものだ。 すり切れないうちに捨てねばならぬ。 さもないと、向こうがこちらを捨てる。
女心はどんなに悲しみで一杯になっても、 お世辞や恋を受け入れる片隅がどこかに残っているものだ。
人生というのは矛盾から成り立っているものなんだ。 もしも、矛盾の中心にちゃんと止まるものなら、人生の意味が分かるはずだ。
結婚は顔を赤くするほど嬉しいものでもなければ、恥ずかしいものでもないよ。
自分を憐れむという贅沢がなければ、 人生なんていうものには耐えられない場合がかなりあると私は思う。
一緒に泣いた時に、 はじめてお互いがどんなに愛し合っているのかが分かるものだ。
人はつねに自分の幸福を望むものだが、 つねに幸福を見分けることが出来るわけではない。