真実には特定の時などない。真実はどんな時代にも真実である。
ある真実を教えることよりも、いつも真実を見出すにはどうしなければならないかを教えることが問題なのだ。
幸福は遠くの未来にある限り光彩を放つが、つかまえてみると、もうなんでもない。 幸福を追っかけるなどは、言葉のうえ以外には不可能なことである。
幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、 幸福がぼくのなかに棲みはじめた。
幸福に恵まれるために知恵はいらない。しかし、この幸福を活かすためには知恵がいる。
幸福になれるチャンスがいくらあったところで、 それを活用できる頭が無ければ、どうしようもない。
一番幸せなのは、幸福なんて特別必要でないと悟ることです。
教育は科学であってはなりません。それは芸術でなければならないのです。
教えることのできない子供というものはない。あるのは子供達にうまく教えられない学校と教師だけである。
昨日の思想によって子供を縛るのは教育ではなく訓練である。 明日の思想によって子供を縛るのもまた教育ではなくて訓練である。 教育は訓練ではない。創造である。
教育の過程はそれ自体を超えるいかなる目的ももっていない。 すなわちそれはそれ自体の目的なのだ。
事実に目をつぶったからといって、事実が無くなるわけじゃない。
私たちは肩を寄せ合って生きています。 だから、この世における私たちの第一の目的は、他人の役に立つことです。 たとえ他人の役に立てない者でも他人を傷つけてはいけません。
山が高いからといって、戻ってはならない。行けば超えられる。 仕事が多いからといって、ひるんではいけない。行えば必ず終わるのだ。
幸せを手に入れるんじゃない。 幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ。
時代は良くも悪くもなってない。いつだって今が最高。
死んだら死んだでいいさ、なんて俺は言えないわ。 俺は生きていたいんよ。
何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。
希望と恐れは切り離せない。 希望のない恐れもなければ、恐れのない希望もない。