人生は一冊の書物に似ている。 馬鹿者たちはそれはパラパラとめくっているが、 賢い人間はそれを念入りに読む。 なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことが出来ないのを知っているから。
人間元来一人で生まれて一人で死んでいくのである。 大勢の中に混じっていたからって孤独になるのは、わかりきったことだ。
幸福の話をこれほどまでに聞かされていなかったら、 人間はもっと幸福だったろう。
神のもとには大きなものも小さなものもありはしません。
人生においてもまた、大きなものも小さなものもありはしません。
あるものはただ、まっすぐなものと曲がったものだけです。
人間は負けたら終わりなのではない。辞めたら終わりなのだ。
私の愛人が他の男によって幸せになるのを見るくらいなら、 私はその女が不幸になるのを見たほうがマシだ。
「結婚を考えたことはないのか」 「あるさ。でも考えるのとするのは違う」
恋というものはなんと恐ろしい情熱だろうか。 それなのに世間の嘘つきどもは、恋をあたかも幸福の源泉のように言っている。
恋のチャンスは、 熟れている時にもがなければならない果物のようだ。 一度地から落ちたら二度とチャンスはないだろう。
他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。 しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ。
私は運命の喉首を締め上げてやるのだ。 決して運命に圧倒されないぞ。 この人生を千倍も生きたなら、どんなに素敵だろう。
もし私が神だったら、 私は青春を人生の終わりにおいただろう。
人生は道路のようなものだ。 一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。
結婚とはセルフサービスの食事のようなものだ。 自分の欲しい料理を選んだ後で、隣りの人たちのお皿の中身を見る。 そして、どうして自分は彼らと同じ物を選ばなかったのだろうと自問するのである。
運命は我らを幸福にも不幸にもしない。 ただその種子を我らに提供するだけである。
私は生きることが大好きだから、死を恐れない。 ただ、出来るだけ遅く死にたいだけだ。
恋愛というものは、振幅が大きくて、情熱の波に弄ばれます。 友情は静かで安定した流れを辿ります。
たいていの人々は、運命に過度の要求をすることによって、 自ら不満の種をつくっている。