女というものは、自分の美貌のために犯される行為ならば、悪い行為でも許す。
残念なことに、私達は愛するものと戦わなければならない。 恋においても、母親としても。
結婚は雪景色のようなものである。 はじめはきれいだが、やがて雪解けしてぬかるみができる。
不幸はナイフのようなものだ。 ナイフの刃をつかむと手を切るが、とってをつかめば役に立つ。
人生は山登りのようなものさ。 登っている間は人は頂上を見ている。 そして自分を幸せと感じるが、上に着いたが最後、たちまち下りが見える。 終わりが、死である終わりが、見える。
恋愛をして分かることの一つは、 時間というものは一定の速度で過ぎていかなければならぬということです。
結婚の契約をしてからでなければ恋をしないというのは、 小説を終わりから読み始めるようなものである。
彼らにとって絶対に必要なものはお互いだけで、 お互いだけが、彼らにはまた充分であった。 彼らは山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。
みずから苦しむか、もしくは他人を苦しませるか。 そのいずれかなしに恋愛というものは存在しない。
私は私が男でないことを嬉しく思います。 男だったら、私は女と結婚しなければなりませんもの。
人はいつだって、いろいろなものにさよならを言わなければならない。
女性はたとえ自分を愛する男が野獣のようなものであろうと、 愛され崇められれば無関心ではいられないものだ。
女房に愛される技術というものは発明されないものだろうか。
男は建設すべきものも、破壊すべきものもなくなると、 非常に不幸を感じるものである。
時間の使い方の最も下手なものが、 まずその短さについて苦情をいう。
おかしいわよ、金持ちの人がお金でなんでも手に入ると思っているのは。 あたし、そんなもの少しも欲しくない。 好きな人とならどんな汚い部屋だってかまいやしない。 気が向かなかったら、豪邸に住めっていわれたってイヤだわ。 お金なんて……、そう、お金の上でダンスしてみせるわ、つばをひっかけてみせるわ。
まことに人生はままならなもので、 生きている人間は多かれ少なかれ喜劇的である。
男はどんな女といても幸福にいけるものです。彼女を愛さないかぎりは。
結婚は夫、または妻によって創り出されるものではなく、 逆に夫と妻とが結婚によって創られるのだ。
青春の時期は、いつの時代でも恥多く悩ましいものだ。 もう一度やれと言われてもお断りしたい。