私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある。
われわれは現在だけを耐え忍べばよい。 過去にも未来にも苦しむ必要はない。 過去はもう存在しないし、 未来はまだ存在していないのだから。
千年後にも人間は 「ああ、人生はなんというつまらないものだろう!」 と嘆きつづけるにちがいない。 そしてまた同時に、今とまったく同じように死を恐れ、死ぬことをいやがるにちがいない。
自分の目標を達成している人、 あるいは今の自分に本当に満足している人には滅多に出会うものではない。 それなのに人生を左右するような問題の選択を大多数の意見に委ねるべきだろうか?
一見して人生には何の意味もない。 しかし一つの意味もないということはあり得ない。
愛されなかったということは生きなかったことと同義である。
人生という字をどう読むか? 人として生まれる、人として生きる、人を生かす、人を生む…、それが人生なんです。
夜の露を払って花は咲いて行くもの 涙を払って人は行くもの
地上において、あなたの使命が終わったかどうかを知るテストをしてみよう。 もしもあなたがまだ生きているのであれば、それは終わっていない。
宴会と同じように、人生からも飲みすぎもせず、 喉が乾きもしないうちに立ち去ることが一番良い。
人生は一冊の書物に似ている。 馬鹿者たちはそれはパラパラとめくっているが、 賢い人間はそれを念入りに読む。 なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことが出来ないのを知っているから。
人生は一箱のマッチに似ている。
重大に扱うのはばかばかしい。
重大に扱わねば危険である。
人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い。
人生とは出会いであり、 その招待は二度と繰り返されることはない。
人生は将棋のようなものだ。 自分の手中にあるものはチャンスではなく、駒の進め方だ。
人生は、ケチな心配事ばかりしているのには短すぎる。
人はその生涯の40年間で本文を著述し、 これにつづく30年間において、前者についての注釈を付加する。
運命が明日なにを決定するかを問うな。 瞬間こそ我々のものである。 さあ、瞬間を味わおうではないか!