人生において、万巻の書をよむより、 優れた人物に一人でも多く会うほうがどれだけ勉強になるか。
人生とは、切符を買って軌道の上を走る車に乗る人には分からないものである。
人生は苦しむためのものではない。 それはただ、一つの所から別の所へと穏やかに進んで行くものなのだ。 ちょうど、天気のよい日に谷間をゆっくり歩いてゆくように。
誤りを犯さなければ、人生は非常に面白いものである。
平凡から非凡になるのは、 努力さえすればある程度の所まで行けるが、 それから再び平凡に戻るのが、難しい。
涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない。
我々の一生の前半は親によって、後半は子供によって台無しにされる。
私は、人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた。
人生の半分はトラブルで、 あとの半分はそれを乗り越えるためにある。
一足跳びに山の頂上にあがるのも、 一歩一歩としっかりと登ってゆくのも、結局は同じこと。 むしろ一歩ずつ登るほうが途中の草木や風物を見ることができるし、 一歩一歩を慥(たし)かめてきたという自信をつかむことができる。
なんと速やかに我々はこの地上を過ぎて行くことだろう。 人生の最初の四分の一はその使い道もわからないうちに過ぎ去り、 最後の四分の一はまたその楽しさを味わえなくなってから過ぎて行く。 しかもその間の期間の四分の三は、 睡眠、労働、苦痛、束縛、あらゆる種類の苦しみによって費やされる。 人生は短い。
私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある。
人生は将棋のようなものだ。 自分の手中にあるものはチャンスではなく、駒の進め方だ。
人生の目的に対する疑問は無限といってよいほどにしばしば提出されてきているが、 ついぞ満足できるような答えが与えられたことはない。 また、そのような答えはおそらく決して許されないものなのだろう。
僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、 それが全然わからないのです。
人生とは、 病人の一人一人が寝台を変えたいという欲望に取り憑かれている一個の病院である。
汝が生まれたとき汝は泣き、汝の周囲の人々は喜び、 汝がこの世を去るときには汝の周囲の人々が泣き、汝のみ微笑むようにすべし。
人生は、ケチな心配事ばかりしているのには短すぎる。