時のある間にバラの花を摘むがよい。 時は絶えず流れ行き、 今日微笑んでいる花も明日には枯れてしまうのだから。
お前がいつか出会う災いは、 おまえがおろそかにしたある時間の報いだ。
今日という一日は明日という二日分の値打ちを持っている。
君、時というものは、 それぞれの人間によって、 それぞれの速さで走るものなのだよ。
私達は年齢を重ねるにつれて、 時間の価値をいっそう鋭く感じるようになる。 実際、時間以外のものはまるで大したものではないように映じてくる。 そしてこの点で、私達はいよいよ悲惨な人間になってくる。
過去の記憶がお前に喜びを与えるときにのみ、 過去について考えよ。
過去のことは過去のことだといって片付けてしまえば、 それによって、我々は未来をも放棄してしまうことになる。
「珠玉の時間を無為に過ごさないように」と注意を受けたことがあるだろうか。 そうなのだが、無為に過ごすからこそ珠玉の時間となる時もある
今日という日を自分自身のものと呼びうる人は幸せである。 いや、彼のみが幸せである。
未来がどうなるか、あれこれと詮索するのをやめよ。 そして、時がもたらすものが何であれ、贈り物として受けよ。
過去と未来は最高によく思える。 現在の事柄は最高に悪い。
時の言うことをよく聴け。時はもっとも賢明なる法律顧問なり。
古き良き時代。全ての時代は古くなると良くなるもの。
朝寝は時間の出費である。 しかも、これほど高価な出費は他にない。
時間が過ぎ去って行くのではない。 われわれが過ぎ去っていくのだ。
時を短くするものはなにか――活動。
時を絶えがたくするものはなにか――怠惰。
現在一つ持っているほうが、 未来において二つ持っているより値打ちがある。
「時」の歩みは三重である。 未来はためらいつつ近づき、 現在は矢のように速く飛び去り、 過去は永久に静かに立っている。