私達は年齢を重ねるにつれて、 時間の価値をいっそう鋭く感じるようになる。 実際、時間以外のものはまるで大したものではないように映じてくる。 そしてこの点で、私達はいよいよ悲惨な人間になってくる。
明日だ明日だ、今日はやめよう。 ――怠惰な人達がこういうのを聞くがいい。
決して時計を見るな。 これは若い人に覚えてもらいたいことだ。
今日という日を自分自身のものと呼びうる人は幸せである。 いや、彼のみが幸せである。
時間を最も有効に利用した者に、最も立派な仕事ができる。
君、時というものは、 それぞれの人間によって、 それぞれの速さで走るものなのだよ。
毎日自分に言い聞かせなさい。 今日が人生最後の日だと。 あるとは期待していなかった時間が驚きとして訪れるでしょう
過ぎ去りし麗しき日々は、再び我が元に返り来たらず。
相談するときには過去を、 享楽するときには現在を、 何かするときには未来を思うがよい。
たった五分!畜生!私は一生を通して五分遅れ通しだった。
過去と未来は最高によく思える。 現在の事柄は最高に悪い。
今日という一日は明日という二日分の値打ちを持っている。
朝寝は時間の出費である。 しかも、これほど高価な出費は他にない。
未来がどうなるか、あれこれと詮索するのをやめよ。 そして、時がもたらすものが何であれ、贈り物として受けよ。
未来のことは分らない。 しかし、我々には過去が希望を与えてくれるはずである。
もしあなたが約束の時間より早く着いたら、あなたは心配性である。 もし遅れてきたら挑発家、 時間どうりに来れば強迫観念の持ち主。 もし来なかったら、知恵遅れという事になる。
何をするにも時間は見つからないだろう。 時間が欲しければ自分で作ることだ。