人間的に言えば死にもよいところがある。 老いに決着をつけねばならないからだ。
生きる理由はないが、また、死ぬ理由もない。 人生への軽蔑を示すべく、我々に残された唯一の方法は、それを受け入れることである。 人生は、苦労して捨てるほどの価値もない。
お前の人生が戯れにすぎなかったのなら、死はお前にとって真剣事であろう。 だが、お前が真剣に生きたのなら、死はお前にとって一つの戯れであろう。
生まれた以上死なねばならぬ、 ということ以外確実なことはなし。
賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、 生きなければいけないだけ生きる。
生死などは何でもない、つまらない事柄なのだ。 ただ、生きていく態度が重要なのだ。
話好きが暖炉に背を向けるように、 人は死と背中合わせになっている。
死ぬことはなんでもないが、 この世と別れるのが僕には辛い。
死んでみたところでなんの役に立つのだろうか? まだ死ぬには早すぎる。 せっかく自分のために生まれてきたものを全部自分のものにしもせずに あの世に旅立つなんて、 果たして僕のすべきことだろうか。
死は救いとは言いながら、そうは悟りきれぬものである。
人間は九ヶ月かけて生きる準備を整えるが、 人間を死に導くには一瞬の間しか必要としない。
このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、 最初からずっと、死に方を学んでいたのだ。
死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。
私が死んだとき、一匹の蝿がうなるのを聞いた。 部屋の中の静寂は、嵐の高まりの間の大気の静寂のようだった。