一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。 だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
生きたいと思わねばならない。 そして死ぬことを知らねばならない。
我は生きようとする生命に取り巻かれた生きようとする生命だ。
お前の人生が戯れにすぎなかったのなら、死はお前にとって真剣事であろう。 だが、お前が真剣に生きたのなら、死はお前にとって一つの戯れであろう。
人は死ぬ瞬間までも、 もしかしたら助かるかもしれないと空想し得る力を与えられている。
人間が幸福の夢を追うときに犯す大きな過失は、 人間の生来から備わっているあの「死」という弱点を忘れてしまうことだ。
私自身の一部分は恐怖と困惑ともって死をながめ、 他の一部分はまず好奇心から、 とりわけ美と愛が充実して現われるのをみたいとの渇望から、 死を望んでいる。
私が死んだ時、私のために泣いてくれるというのなら、 私がまだ生きているうちに哀れんでくれ。
死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。
私は神に会う覚悟はできている。 私と会見するという厳しい試練への準備が神の側でできているかどうかは別問題だが。
自分の命を愛しても憎んでもいけない。 だが生きている限りは命を大切にするがよい。 長く生きるか短命に終わるかは天に任せるがよい。
人間は、みんなに愛されているうちに消えるのが一番だ。
お前が死んでも何も変わらない。 だが、お前が生きて、変わるものもある。
死ぬということは、生きているよりいやなことです。 けれども、喜んで死ぬことが出来れば、くだらなく生きているよりは幸福なことです。
人間は、死、悲惨、無知を癒すことができなかったので、 自己を幸福にするために、それらを敢えて考えないように工夫した。