生きることは病であり、眠りはその緩和剤、死は根本治療。
昨日まで人のことかと思いしがおれが死ぬのかそれはたまらん
人生は山登りのようなものさ。 登っている間は人は頂上を見ている。 そして自分を幸せと感じるが、上に着いたが最後、たちまち下りが見える。 終わりが、死である終わりが、見える。
死ぬなら楽に死ぬ。 苦しむなら治る。 どっちかにしてもらいたい。 苦しんだ上に死ぬなんて理屈に合わぬ。
命というものは、はかないからこそ、 尊く、厳かに美しいのだ。
私たちは死の心配によって生を乱し、 生の心配によって死を乱している。
人間は心の底ではまったく死を嫌悪していない。 死ぬのを楽しみにさえしている。消えてゆくランプに苦しみはないのである。
人類はまだ未成年であり、死は一つの未成年者誘拐である。
私自身の一部分は恐怖と困惑ともって死をながめ、 他の一部分はまず好奇心から、 とりわけ美と愛が充実して現われるのをみたいとの渇望から、 死を望んでいる。
死のことは考えるに及ばない。 死は我々が手を貸さなくても我々のことを考えてくれているのだから。
人間は、死、悲惨、無知を癒すことができなかったので、 自己を幸福にするために、それらを敢えて考えないように工夫した。
立派に死ぬことは難しいことではない。 立派に生きることが難しいのだ。
死は救いとは言いながら、そうは悟りきれぬものである。
死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである。