哀しみで自分をすり減らしちゃいけない。死んだ人は死んだ人。 人生は生きている者のためにあるのだから。
人は死ぬ瞬間までも、 もしかしたら助かるかもしれないと空想し得る力を与えられている。
死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。
死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである。
私が死んだとき、一匹の蝿がうなるのを聞いた。 部屋の中の静寂は、嵐の高まりの間の大気の静寂のようだった。
私は生きることが大好きだから、死を恐れない。 ただ、出来るだけ遅く死にたいだけだ。
我は生きようとする生命に取り巻かれた生きようとする生命だ。
私は生きているときに、死以外のあらゆるものに対して備えをしていた。 今、私は死なねばならぬ。そして、まだなんの備えもない。
私が死んだ時、私のために泣いてくれるというのなら、 私がまだ生きているうちに哀れんでくれ。
生きたいと思わねばならない。 そして死ぬことを知らねばならない。
死ぬということは、生きているよりいやなことです。 けれども、喜んで死ぬことが出来れば、くだらなく生きているよりは幸福なことです。
人はいつだって、いろいろなものにさよならを言わなければならない。
生は全ての人間を水平化するが、 死は傑出した人をあらわにする。
我々はときおり、 悪夢から目覚めた瞬間に自らを祝福することがある。 我々はおそらく、死んだその瞬間をみずから祝福することであろう。
死を恐れることは、自分が賢くもないのに賢いと思うことと同じである。