例え、例えですね、 明日死ぬとしても、やり直しちゃいけないって、誰が決めたんですか? 誰が決めたんですか?
我々は、大人も子供も、利口も馬鹿も、貧者も富者も、 死においては平等である。
死のことは考えるに及ばない。 死は我々が手を貸さなくても我々のことを考えてくれているのだから。
どのみち死なねばならぬなら、 私は、なっとくして死にたいのだ。
哀しみで自分をすり減らしちゃいけない。死んだ人は死んだ人。 人生は生きている者のためにあるのだから。
生は全ての人間を水平化するが、 死は傑出した人をあらわにする。
人生はほんの一瞬のことに過ぎない。 死もまたほんの一瞬である。
人間的に言えば死にもよいところがある。 老いに決着をつけねばならないからだ。
賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、 生きなければいけないだけ生きる。
生まれた以上死なねばならぬ、 ということ以外確実なことはなし。
我々が誕生を喜び、葬式を悲しむのは何故か? 我々がその当人でないからだ。
私は生きているときに、死以外のあらゆるものに対して備えをしていた。 今、私は死なねばならぬ。そして、まだなんの備えもない。
私たちは死の心配によって生を乱し、 生の心配によって死を乱している。
死は救いとは言いながら、そうは悟りきれぬものである。
お前の人生が戯れにすぎなかったのなら、死はお前にとって真剣事であろう。 だが、お前が真剣に生きたのなら、死はお前にとって一つの戯れであろう。
生きている兵士のほうが、死んだ皇帝よりずっと価値がある。