我々は翼が欲しいという欲望を持っている。 にもかかわらず結局は空を飛ぶことはできない。 要するに、我々は幸せなのだ。 さもなければ、空気はやがて吸うに堪えなくなるに違いない。
人生における無上の幸福は、自分が愛されているという確信である。
他人を幸福にするのは、香水をふりかけるようなものだ。 ふりかけるとき、自分にも数滴はかかる。
幸福――他人の不幸を眺める事から生ずる快適な感覚。
世界全体が幸福にならないかぎりは、 個人の幸福はありえない。
自分の仕事を愛し、その日の仕事を完全に成し遂げて満足した。 ――こんな軽い気持ちで晩餐の卓に帰れる人が、世の中で最も幸福な人である。
幸福は我が家の炉辺で成長する。 そして他人の庭先で摘み取るべきものではない。
我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。 他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、 偏見に満ちていることを百も承知なのに、だ。
幸福は身体にとってはためになる。 しかし精神の力を発達させるものは悲しみだ。
人間の幸福は、決して神や仏が握っているものではない。 自分自身の中にそれを左右するカギがある。
私たちが愛する人々の幸福を願うのは当然である。 だが、自分達の幸福を棄ててまでこれを願うべきではない。
幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。
どうか僕を幸福にしようとしないで下さい。 それは僕に任せてください。
幸せを語りなさい。 あなたの苦悩を除いたところで、世界は悲しみに満ちているのだから。
人間はあらゆるものを発明することが出来る。 ただし幸福になる術を除いては。