結婚前には両目を大きく開いて見よ。結婚してからは片目を閉じよ。
結婚――いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことのない荒海。
多くの女性を愛した人間よりも、 たった一人の女性だけを愛した人間のほうが、 はるかに深く女というものを知っている。
結婚は一切のものを呑み込む魔物と絶えず戦わなくてはならない。 その魔物とはすなわち―――習慣のことだ。
男と女が結婚したときには、彼らの小説は終わりを告げ、彼らの歴史が始まるだろう。
幸福な結婚というのは、 いつでも離婚できる状態でありながら、 離婚したくない状態である。
結婚の契約をしてからでなければ恋をしないというのは、 小説を終わりから読み始めるようなものである。
男と女というこうも違った、また複雑な人間の間で、互いに良く理解しあい、 ふさわしく愛するために一生を費やして長すぎるということはない。
恋のない結婚のあるところには、 結婚のない恋が生まれることだろう。
離婚はきわめて自然なもので、 多くの家では毎晩、それが夫婦の間に寝ている。
その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、 悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、 真心を尽くすことを誓いますか。
結婚式もお葬式も同じようなものです。 違うのは、もらったお花の香りを自分でかげることくらいよ。
一窯のパンを焼き損ねれば一週間、
収穫が悪ければ一年間、
不幸な結婚をすれば一生を棒に振る。
恋は結婚より楽しい。 それは小説が歴史より面白いのと同様である。
同じ生活を営み、 お互いに愛し合っている二人の人間が、 どの点までお互いに謎であり、 城壁をめぐらしていることができようか。
現代では一回では上手く結婚できることは決してない。 やり直す必要がある。
結婚をしないで、なんて私は馬鹿だったんでしょう。 これまで見たものの中で最も美しかったものは、 腕を組んで歩く老夫婦の姿でした。
男は退屈から結婚し、女は好奇心から結婚する。そして双方とも失望する。
夫と妻の、どちらに離婚の責任があったのか? どちらにもあったのだ。あるいは、どちらにも無かったのである。