三週間互いに研究しあい、 三ヶ月間愛し合い、 三年間喧嘩をし、 三十年間我慢しあう。 そして子供達が同じことをまた始める。
結婚は夫、または妻によって創り出されるものではなく、 逆に夫と妻とが結婚によって創られるのだ。
結婚は、多くの短い愚行を終わらせる。一つの長い愚鈍として。
恋する人のために食事の支度をしている女の姿ほど、胸打つものはない。
男にとっても、結婚はしばしば一つの危機である。 その証拠に、多くの男性精神病患者は婚約期間中、 もしくは結婚生活の初期に生まれる。
急いで結婚する必要はない。 結婚は果物と違って、いくら遅くても季節はずれになることはない。
男どもは結婚を神聖だなどという。 それこそ神をも人をもあざむく台詞というものだ。 そしていつでも、その台詞の迷惑をこうむるのは、 純潔無垢な、理想の女性とでも言うべき乙女なのだ。
愛情がこもっていて無口な人こそ、人生の伴侶としてふさわしい。
結婚生活を末永く導いてゆくものは、普通の意味での恋愛でもなく、 また情痴の世界でもなく、それらを経た後に来る慈悲 ――人間のあるがままの姿への愛情であろう。
妻を選ぶのはネクタイを買うのとよく似ている。 選んだ時は素敵に見えるが、家に帰って首に締めてみるとがっかりする。
結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。 今考えると、あのとき食べておけばよかった。
多くの女性を愛した人間よりも、 たった一人の女性だけを愛した人間のほうが、 はるかに深く女というものを知っている。
その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、 悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、 真心を尽くすことを誓いますか。
結婚生活をいくらでもほめたたえてよい。しかし自分自信は独身でいたまえ。
私の業績の中で最も輝かしいことは、 妻を説得して私との結婚に同意させたことである。
ずいぶん敵を持ったけど、 妻よ、お前のようなやつははじめてだ。
愛する者と一緒に暮らすには一つの秘訣がいる。すなわち、相手を変えようとしないことだ。