もしある人が自分の不幸な出来事について話したら、 そこにはなにか楽しんでいるものがあると思って差し支えない。 なぜならば、本当にみじめさだけしかないとしたら、 その人はそんなことを口にしないだろうから。
結婚生活を末永く導いてゆくものは、普通の意味での恋愛でもなく、 また情痴の世界でもなく、それらを経た後に来る慈悲 ――人間のあるがままの姿への愛情であろう。
貧困は僕とって必ずしも憎むべきものではなかった。 なぜなら、太陽と海は決して金では買えなかったから。
人生を喜びなさい。 なぜなら、人生は、愛し、働き、遊び、星を見つめるチャンスを与えてくれたのだから。
魅力あるもの、キレイな花に心を惹かれるのは、誰でもできる。 だけど、色あせたものを捨てないのは努力がいる。 色のあせるとき、本当の愛情が生まれる。
自分のポケットの小銭は、他人のポケットの大金にまさる。
あまりしつこくつきまとわれる愛は、ときに面倒になる。 それでもありがたいとは思うがね。
恋の喜びが結局悲しみをもたらすということは、 もういろいろな女の例ではっきりしているんですもの。 私は恋も悩みも両方捨てますから、悪いことも起こらないでしょう。
人生には、全てをなくしても、 それに値するような何かがあるんじゃないだろうか。
経験が役に立たないのは、特に恋愛の場合にはなはだしい。
死を恐れることは、自分が賢くもないのに賢いと思うことと同じである。
死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである。