私たちは死の心配によって生を乱し、 生の心配によって死を乱している。
二人の人間が愛し合えば、ハッピーエンドはあり得ない。
一度だけの人生だ。だから今この時だけを考えろ。 過去は及ばず、未来は知れず。死んでからのことは宗教にまかせろ。
「一体どれだけ努力すればよいか」という人があるが、 「君は人生を何だと思うか」と反問したい。努力して創造していく間こそ人生なのである。
おかしいわよ、金持ちの人がお金でなんでも手に入ると思っているのは。 あたし、そんなもの少しも欲しくない。 好きな人とならどんな汚い部屋だってかまいやしない。 気が向かなかったら、豪邸に住めっていわれたってイヤだわ。 お金なんて……、そう、お金の上でダンスしてみせるわ、つばをひっかけてみせるわ。
人間にとって大切なのは、 この世に何年生きているかということではない。 この世でどれだけの価値のあることをするかである。
薔薇はなぜという理由もなく咲いている。薔 薇はただ咲くべく咲いている。 薔薇は自分自身を気にしない。人が見ているかどうかも問題にしない。
私自身の一部分は恐怖と困惑ともって死をながめ、 他の一部分はまず好奇心から、 とりわけ美と愛が充実して現われるのをみたいとの渇望から、 死を望んでいる。
我々は泣きながら生まれて、文句を言いながら生きて、 失望しながら死ぬ。
酒を飲め。こう悲しみの多い人生は眠るか酔うかしてすごしたほうがよかろう。
この地上には、 男性だけがその費用をひきうけるにしては、あまりに美人が多すぎる。
まともな男は、三十歳すぎたら恋なんかしないね。 体のほうにガタがきはじめるから。
女は深く見るが、男は遠くを見る。 男にとっては世界が自分で、女にとっては自分が世界。
愚か者は、金を持って死んでいくために、貧乏で暮らす。
まことに人生はままならなもので、 生きている人間は多かれ少なかれ喜劇的である。
愛することにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠に素人である。