私を静かにさせておいてくれ。 私が静かにそっとしておれるものなら、いますぐにでも、全世界をだって、 タダの一文で売り渡したいくらいものだ。
恋というものは心から心に至るもっとも短い道である。直線である。
自分の目標を達成している人、 あるいは今の自分に本当に満足している人には滅多に出会うものではない。 それなのに人生を左右するような問題の選択を大多数の意見に委ねるべきだろうか?
誤りを犯さなければ、人生は非常に面白いものである。
二十歳のときに詩人であるものは、詩人ではなく、ただの人間にすぎない。 二十歳を過ぎて詩人であれば、そのときかれは詩人である。
青年は教えられることより刺激されることを欲するものである。
人生で最も良いものというのは、決して配給されることはない。 友情、忠誠心、愛は、配給券を必要としないものである。
私にとっては人生には美もなければロマンスもありません。 人生あるがままのものです。 そうして私は人生をあるがままに受け入れるつもりです。
私は生きているときに、死以外のあらゆるものに対して備えをしていた。 今、私は死なねばならぬ。そして、まだなんの備えもない。
結婚生活に幸福を期待しすぎて、失望しないように気をつけなさい。 ウグイスは春に2、3ヶ月だけは鳴くが、卵をかえしてしまうと、 あとはずっと鳴かないものだ。
人生とは、切符を買って軌道の上を走る車に乗る人には分からないものである。
「最近は親しい友人にもだまされる」 「それが友人というものだ」
どんな男でも、ある女性を自分のものにしようとするときは、 その人が自分の愛に最もふさわしい女性であり、 自分がこんなに夢中になるのももっともなことだと思いこんでいるのである。 そして、それが迷いであったと気づくのは、 あとになって別の女を愛するようになったときである。
もしある人が自分の不幸な出来事について話したら、 そこにはなにか楽しんでいるものがあると思って差し支えない。 なぜならば、本当にみじめさだけしかないとしたら、 その人はそんなことを口にしないだろうから。
結婚生活を末永く導いてゆくものは、普通の意味での恋愛でもなく、 また情痴の世界でもなく、それらを経た後に来る慈悲 ――人間のあるがままの姿への愛情であろう。
貧困は僕とって必ずしも憎むべきものではなかった。 なぜなら、太陽と海は決して金では買えなかったから。
情熱家より、冷淡な男のほうが簡単に女に夢中になるものだ。
魅力あるもの、キレイな花に心を惹かれるのは、誰でもできる。 だけど、色あせたものを捨てないのは努力がいる。 色のあせるとき、本当の愛情が生まれる。
恋の喜びが結局悲しみをもたらすということは、 もういろいろな女の例ではっきりしているんですもの。 私は恋も悩みも両方捨てますから、悪いことも起こらないでしょう。