友人の女房と寝てはいけないという。 しかし、それではいったい誰と寝ればいいのか。
愛情とはからだとからだをよせて、さむさをあたためあうことなのだ。
結婚生活をいくらでもほめたたえてよい。しかし自分自信は独身でいたまえ。
女房と財布は努めて隠しておけ。 あまりたびたび人に見せると、一日借りられる恐れがある。
二十歳のときに詩人であるものは、詩人ではなく、ただの人間にすぎない。 二十歳を過ぎて詩人であれば、そのときかれは詩人である。
A「あなたが一番影響を受けた本はなんですか」 B「銀行の預金通帳だよ」
ある男がはじめて君をあざむいたときには、 彼を辱めるがいい。 しかし、その男がもう一度君をあざむいたとしたら、 君自身を恥じるがいい。
人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだと、 したり顔して教える苦労人が多いけれども、私はそうではないと思う。 私は別段、例の唯物論的弁証法に媚びるわけではないが、 少なくとも恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意思だと思う。
習慣は偽りの友を作る。あたかも機会が偽りの恋人を作るように。
人間はまだ十分に幸福ではなかったからこそ死を恐れるのである。 最高の幸福に恵まれれば、すぐに死にたいと思う。
ロマンチックな恋だけが恋ではありません。 本物の恋とは、オートミールをかき混ぜる行為のように平凡で当たり前なのです
ああ!青春!―― 人は一生に一時しかそれを所有しない。 残りの年月はただそれを思い出すだけだ。
ああ、金、金! この金のためにどれほど多くの悲しいことがこの世に起こることであろうか!
なんのために人間は裕福でなければならないのか? なんのために彼には高価な馬が、立派な服が、美しい部屋が、 公共の娯楽場に入場する権利が必要なのか? すべてはこれは思考の欠如からきている。 こうした人々に、思考の内的な仕事を与えよ。 さすれば彼は、もっとも冨裕な人々よりも幸福になるだろう。
結婚したらいろいろ分かってきますよ。いままでは半分謎だったことが。
人生はほんの一瞬のことに過ぎない。 死もまたほんの一瞬である。
金の値打ちがわからないのだったら、 でかけていって誰かに借金を申し込んでみるがいい。
失恋すると、5年後に素晴らしい事が起こります。 エレベーターに乗ったら、ハゲて太ったあの人がいて、 葉巻をくゆらせながら 「ずいぶん長いこと会わなかったね」なんて言ってたりするの。
女はたとえ百人の男にだまされても、百一人目の男を愛するだろう。
酒飲みは自分では節酒していると思っているように、 青年たちはみずからを利口だと思いがちだ。