平凡な人生こそ真の人生だ。 虚飾や特異から遠く離れたとことにのみ真実があるからだ。
真実の愛は幽霊のようなものだ。 誰もがそれについて話をするが、それを見た人はほとんどいない。
本を読んでも、物語や歴史に聞くところからでも、 真実の恋は滑らかに運んだためしがない。
人生の真実は、美味で、恐ろしく、魅力的で、奇怪、甘くて、苦い。 そしてそれがすべてである。
平らな道でもつまずくことがある。 人間の運命もそうしたものだ。 神以外に誰も真実を知るものはないのだから。
そうだな……わたしは『結果』だけを求めてはいない。
『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ………………
近道したとき真実を見失うかもしれない。やる気もしだいに失せていく。
大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。
私は不幸にも知っている。 時には嘘による外は語られぬ真実もあることを。
人間の細部において個別に判断するものこそ、もっとも真実を言い当てるだろう。
本当の真実というものはいつでも真実らしくないものだ。 真実をより真実らしく見せるためには、どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある。 だから人間はつねにそうしてきたものだ。
真実の文字は、「人間はこんなに不完全だ」からくる闘争を明らかにする。 われわれ人間は、悪事のできない天使でもないし、 高価な大望を抱くことのできない動物でもない。人間の闘争は続く。
如何に至徳の人でもどこかしらに悪いところがあるように、 人も解釈し自分でも認めつつあるのは疑いもない真実だろうと思う。
真実のない生というのはあり得ない。 真実とはたぶん、生そのもののことだろう。
純朴と純真な真実とは、いかなる時代においても時と場を得る。
真実を語るのは実にむずかしい。青年でそれをできる者はまれである。
真実には特定の時などない。真実はどんな時代にも真実である。
良い結果をもたらす嘘は、不幸をもたらす真実よりいい。
ある真実を教えることよりも、いつも真実を見出すにはどうしなければならないかを教えることが問題なのだ。
真実は疑いなく美しい。しかし、嘘もまた同様である。