金を持っている人間は、 貧乏人がそのはかない運命を訴えることを聞くのが大嫌いである。
たとえ人の生命を奪っても、財布に手をかけてはならぬ。 人は父親の殺されたのは忘れても、財産の失われたことは忘れないからだ。
金儲けのうまい人は、無一文になっても自分自身という財産を持っている。
愚か者は、金を持って死んでいくために、貧乏で暮らす。
金がないから何もできないという人間は、 金があってもなにも出来ない人間である。
金持ちは世界の隅々にまで従兄弟やおばさんをもっている。 貧乏人が持っている親戚は不幸だけだ。
借金は愚行と犯罪の多産な母親であり、知恵の不足はその父親である。
樫だけが樹ではない。バラだけが花ではない。 多くのつつましい冨が私たちのこの世を豊かにしているのだ。
財布は、その中に何か入っていなければボロきれと変わらない。
私達は金を稼ぐために頭脳をもち、金を使うために心情を持っている。
人生は海、金は船頭である。船頭がいなければ、うまく世渡りができない。
「金なんていくらあっても天国まで持っていけやしないよ」
あらゆる借金の中で人々は税金を一番払いたがらない。 これは政府に対するなんという諷刺であろうか。