なんのために人間は裕福でなければならないのか? なんのために彼には高価な馬が、立派な服が、美しい部屋が、 公共の娯楽場に入場する権利が必要なのか? すべてはこれは思考の欠如からきている。 こうした人々に、思考の内的な仕事を与えよ。 さすれば彼は、もっとも冨裕な人々よりも幸福になるだろう。
諸悪の根源は金そのものではなく、金に対する愛である。
たとえ人の生命を奪っても、財布に手をかけてはならぬ。 人は父親の殺されたのは忘れても、財産の失われたことは忘れないからだ。
金のある者は、金があるために不正をし、 金のない者は、金がないために不正なことをする。
人間よりは金のほうがはるかに頼りになりますよ。頼りにならんのは人の心です。
人間として最大の美徳は、上手に金をかき集めることである。 つまり、どんなことがあっても他人の厄介になるなということだ。
「金なんていくらあっても天国まで持っていけやしないよ」
「貧困は恥ではない」というのは、すべての人間が口にしながら、 誰一人、心では納得していない諺である。
ほんとうに大切な自由はただ一つ、「経済的な自由」がそうだ。
金を持たずに済ますことにも、金を儲けるのと同じくらいの苦労と価値がある。
女房と財布は努めて隠しておけ。 あまりたびたび人に見せると、一日借りられる恐れがある。
金持ち連中の軽蔑には容易に耐えられる。 だが一人の恵まれない人の視線は、私の心の底に深く突き刺さってくる。
金の値打ちがわからないのだったら、 でかけていって誰かに借金を申し込んでみるがいい。
貧乏人の写真が新聞に出るのは、犯罪を犯したときに限られる。
自分のポケットの小銭は、他人のポケットの大金にまさる。
金は底のない海である。このなかに名誉も良心も心理もみんな投げ込まれる。
金は借りてもならず、貸してもならない。 貸せば金を失うし、友も失う。 借りれば倹約が馬鹿らしくなる。
金持ちでも貧乏人でも強い者でも弱い者でも、 遊んで暮らしている市民はみんな詐欺師だ。
金儲けのうまい人は、無一文になっても自分自身という財産を持っている。