人間のうちの最高の賢者さえも、 金を取りに来る人間よりは、金を持ってくる人間を歓迎する。
富を欲するか。恥を忍べ、傾絶せよ。故旧を絶ちて、義と背け。 (恥に耐え、命の限りに全力を尽くせ。旧友との交際を絶ち、義理に背け。 もし富を得たいのならば)
たとえ人の生命を奪っても、財布に手をかけてはならぬ。 人は父親の殺されたのは忘れても、財産の失われたことは忘れないからだ。
金持ちは世界の隅々にまで従兄弟やおばさんをもっている。 貧乏人が持っている親戚は不幸だけだ。
金持ち連中の軽蔑には容易に耐えられる。 だが一人の恵まれない人の視線は、私の心の底に深く突き刺さってくる。
借金を返すということは収入の問題ではない。性質の問題だ。
私は反共国家の韓国でも南ベトナムでも、大勢の共産主義者に会った。 それは貧困という名の共産主義者である。
君に金がない理由を教えてやろうか。 それは君が金だけをひたすら愛さないからさ。 金というものはね、何もかも愛するような浮気者には身をまかせないものさ。
私には、これから一生やっていけるだけの金がある。何も買わなければ。
富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど、のどが乾いてくる。
金がないから何もできないという人間は、 金があってもなにも出来ない人間である。
ああ、金、金! この金のためにどれほど多くの悲しいことがこの世に起こることであろうか!
人々はお金で貴いものは買えないという。 そういう決り文句こそ、貧乏を経験したことのない何よりの証拠だ。
「貧困は恥ではない」というのは、すべての人間が口にしながら、 誰一人、心では納得していない諺である。