人生を喜びなさい。 なぜなら、人生は、愛し、働き、遊び、星を見つめるチャンスを与えてくれたのだから。
富を欲するか。恥を忍べ、傾絶せよ。故旧を絶ちて、義と背け。 (恥に耐え、命の限りに全力を尽くせ。旧友との交際を絶ち、義理に背け。 もし富を得たいのならば)
魅力あるもの、キレイな花に心を惹かれるのは、誰でもできる。 だけど、色あせたものを捨てないのは努力がいる。 色のあせるとき、本当の愛情が生まれる。
あまりしつこくつきまとわれる愛は、ときに面倒になる。 それでもありがたいとは思うがね。
女の欠点を知ろうと思ったら、彼女の女友達の前で彼女を誉めてみることだ。
結婚――いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことのない荒海。
恋の喜びが結局悲しみをもたらすということは、 もういろいろな女の例ではっきりしているんですもの。 私は恋も悩みも両方捨てますから、悪いことも起こらないでしょう。
経験が役に立たないのは、特に恋愛の場合にはなはだしい。
死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである。
与えようとばかりして、もらおうとしなかった。 なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。 ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては。
女というものは、自分の美貌のために犯される行為ならば、悪い行為でも許す。
情熱的に恋したことのない男には、 人生の半分――それも最も美しい半分が隠されている。
私は女性が愚か者であるということを否定はいたしませんが、 全能の神は男性につりあうように女性を作られたのです。
人生は山登りのようなものさ。 登っている間は人は頂上を見ている。 そして自分を幸せと感じるが、上に着いたが最後、たちまち下りが見える。 終わりが、死である終わりが、見える。
生きたいと思わねばならない。 そして死ぬことを知らねばならない。
毎日自分に言い聞かせなさい。 今日が人生最後の日だと。 あるとは期待していなかった時間が驚きとして訪れるでしょう
世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ。
彼らにとって絶対に必要なものはお互いだけで、 お互いだけが、彼らにはまた充分であった。 彼らは山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。
女に懲りるのは一度でたくさん。だれもがそう思いながら二度三度と繰り返す。