自分の言ったことを決して取り消さない人は、真理よりおのれを愛する人間である。
賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、 生きなければいけないだけ生きる。
若くても美しくなく、美しくてもわかくなければ、なんにもなりはしない。
お互い友人だといっても、それを信じるのは愚か者。 この名ほど世間にありふれたものはなく、その実ほど天下にまれなものはない。
恋に肩をたたかれた時には、 常日頃は詩的な調べに耳をかさないような男でさえ詩人になるのだ。
結婚するやつは馬鹿だ。しないやつは――もっと馬鹿だ。
他人の幸福をうらやんではいけない。 なぜならあなたは、彼の密かな悲しみを知らないのだから。
このお盆に生きている全部の人間は、単に今年度の生き残り分にすぎない。
真の友をもてないのはまったく惨めな孤独である。 友人が無ければ世界は荒野に過ぎない。
愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはいけない。
愛することによって失うものは何もない。 しかし、愛することを怖がっていたら、何も得られない。
命というものは、はかないからこそ、 尊く、厳かに美しいのだ。
性本能なしにはいかなる恋愛も存在しない。 恋愛はあたかも帆船が風を利用するように、この粗野な力を利用する。
死ぬことはなんでもないが、 この世と別れるのが僕には辛い。
女というものは幸福な人間を愛することが出来るかどうか私には分からない。 愛する男に少しの憐れみも感じなかったような女は、 多分恋とはどういうものか知らない女であろう。
「真相」は分からない。 それを無理に追うよりも、曖昧さの薄闇の中に、物事をおぼろなままで放置せよ。 そこにあるおぼろな形が人生なのだ。
鼠の気持ちではチーズしか得られない。 大きい獲物を得ようとするなら狼の気持ちになれ。
情念は過度でなければ美しくありえない。 人は愛しすぎないときには十分に愛していないのだ。
人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。 だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。 自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、 あと何回心に思い浮かべるか?せいぜい4,5回思い出すくらいだ。 あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。 だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。