ゴキブリ並みの生命力? 丸めた新聞で叩いたら死ぬってことか?
真理はたいまつである。しかも巨大なたいまつである。 だから私たちはみんな目を細めてそのそばを通りすぎようとするのだ。 やけどする事を恐れて。
本当の真実というものはいつでも真実らしくないものだ。 真実をより真実らしく見せるためには、どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある。 だから人間はつねにそうしてきたものだ。
真実のない生というのはあり得ない。 真実とはたぶん、生そのもののことだろう。
一切の書かれたもののうち、 私はただその人がその血をもって書いたものだけを愛する。
もっとも深い真理は、ただもっとも深い愛のみにひらく。
きみのためにたとえ世界を失うことがあろうとも、世界のためにきみを失いたくはない。
愛されなかったということは生きなかったことと同義である。
人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。
もし自由社会が貧しい多数の人たちを助けることができなければ、 富める少数の人々をも決して守り得ないであろう。
個人の自由もつぎの点では制限されねばならない。 つまりかれは外の人達にたいして厄介なものになってはいけない。
アダムは自由が欲しかったから食べたのではなかった。 禁じられていたからこそ食べたのだ。
自由は山嶺の空気に似ている。どちらも弱い者にはたえることはできない。
どんな政治的自由があっても、それだけでは飢えたる大衆を満足させない。
小さな一時の安全を買い取るために大切な自由を放棄する人間は、 自由を受けるのに値しない。
吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている。
人は自由を得たのち、いくらかの歳月を経過しないと、 自由を用いる方法を知らないものだ。
人間は、時には自由であったり時には奴隷であったりすることはできないであろう。 人間は常に全面的に自由であるか、あるいは常に全面的に自由でないか、 そのいずれかである。
人間は生まれたときは自由である。しかるに人間はいたる所で鉄鎖につながれている。