愛することによって失うものは何もない。 しかし、愛することを怖がっていたら、何も得られない。
性本能なしにはいかなる恋愛も存在しない。 恋愛はあたかも帆船が風を利用するように、この粗野な力を利用する。
死ぬなら楽に死ぬ。 苦しむなら治る。 どっちかにしてもらいたい。 苦しんだ上に死ぬなんて理屈に合わぬ。
女が男の友達になる順序は決まっている。 まずはじめが親友、それから恋人、そして最後にやっとただの友だちになる。
女というものは幸福な人間を愛することが出来るかどうか私には分からない。 愛する男に少しの憐れみも感じなかったような女は、 多分恋とはどういうものか知らない女であろう。
死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。
もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、 世界史の表情は変わっていただろう。 人間のむなしさを知ろうとするなら、 恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
人生の黄金時代は老いて行く将来にあり、 過ぎ去った若年無知の時代にあるにあらず。
人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。 だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。 自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、 あと何回心に思い浮かべるか?せいぜい4,5回思い出すくらいだ。 あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。 だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。
思った通りの人生ではなかった。しかし、よかったとなら言える人生だったかもしれない。
平凡な人生こそ真の人生だ。 虚飾や特異から遠く離れたとことにのみ真実があるからだ。
人生のバッターボックスに立ったら、見送りの三振だけはするなよ。
人は死ぬ瞬間までも、 もしかしたら助かるかもしれないと空想し得る力を与えられている。
コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、 それを発見しつつあった時である。 幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない
人生はただ歩き回る影法師、哀れな役者だ。 出場の時だけ舞台の上で、見栄をきったりわめいたり、 そしてあとは消えてなくなる。
元始、女性は実に太陽であった。真心の人であった。 今、女性は月である。 他によって生き、他の光によって輝き、病人のような蒼白い顔の月である。
人が恋をしはじめた時は、生きはじめたばかりのときである。
真実の愛は幽霊のようなものだ。 誰もがそれについて話をするが、それを見た人はほとんどいない。
家が必要なら、できあがっているのをとれ。 妻が必要なら、できあがったのはとるな。
恋をすることは苦しむことだ。 苦しみたくないなら、恋をしてはいけない。 でもそうすると、恋をしていないことでまた苦しむことになる。