愛されなかったということは生きなかったことと同義である。
人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。
立法者にしろ革命家にしろ、平等と自由とを同時に約束する者は、 空想家か、さもなくば山師だ。
山は動かざれども、海は常に動けり。 動かざるのは眠の如く、死の如し。しかも海は動けり。 常に動けり。これ不断の覚醒なり。不朽の自由なり。
個人の自由もつぎの点では制限されねばならない。 つまりかれは外の人達にたいして厄介なものになってはいけない。
人間を自由にできるのは、人間の理性だけである。 人間の生活は、理性を失えば失うほどますます不自由になる。
自由であることは、自由であるべく呪われていることである。
アダムは自由が欲しかったから食べたのではなかった。 禁じられていたからこそ食べたのだ。
自由は山嶺の空気に似ている。どちらも弱い者にはたえることはできない。
どんな政治的自由があっても、それだけでは飢えたる大衆を満足させない。
自由を放棄することは、人間としての資格を放棄することである。 人間としての権利を放棄することである。 すべてを放棄する人にとっては、いかなる補償もありえない。
小さな一時の安全を買い取るために大切な自由を放棄する人間は、 自由を受けるのに値しない。
吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている。
人は自由を得たのち、いくらかの歳月を経過しないと、 自由を用いる方法を知らないものだ。
人間は、時には自由であったり時には奴隷であったりすることはできないであろう。 人間は常に全面的に自由であるか、あるいは常に全面的に自由でないか、 そのいずれかである。
自由が生命・・・世界のどの民族よりも、 英国人は官僚的政治で支配されるのを承知しない民族だろう。 彼等の生命の血は自由だからである。