結婚は顔を赤くするほど嬉しいものでもなければ、恥ずかしいものでもないよ。
自分を憐れむという贅沢がなければ、 人生なんていうものには耐えられない場合がかなりあると私は思う。
たとえ人の生命を奪っても、財布に手をかけてはならぬ。 人は父親の殺されたのは忘れても、財産の失われたことは忘れないからだ。
僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ。
恋愛は恋愛によって始まる。 従っていかに強い友情からも弱い恋にしか移行できない。
愛されているという驚きほど、神秘的な驚きはない。 それは人間の肩に置かれた神の指だ。
人間として一方弱いところがなかったら、人生は分からないでしょう。
人間には不幸か、貧乏か、勇気が必要だ。 でないと人間はすぐに思いあがる。
若者よ恋をしろ、 身分やお金はないけれど、 恋すりゃ希望が湧いてくる。
人はつねに自分の幸福を望むものだが、 つねに幸福を見分けることが出来るわけではない。
畏れることなく醜にも邪にもぶつかって見よう。 その底に何があるか。 もしその底に何もなかったら人生の可能性は否定されなければならない。
できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、 できるだけ結婚しないでいることは男のビジネスである。
友人の女房と寝てはいけないという。 しかし、それではいったい誰と寝ればいいのか。
貧乏には、楽しいことが沢山あるに違いない。 でなければ、こんなに沢山の人が貧乏であるわけがない
自分の目標を達成している人、 あるいは今の自分に本当に満足している人には滅多に出会うものではない。 それなのに人生を左右するような問題の選択を大多数の意見に委ねるべきだろうか?
二十歳のときに詩人であるものは、詩人ではなく、ただの人間にすぎない。 二十歳を過ぎて詩人であれば、そのときかれは詩人である。
馬で行くことも、車で行くことも、 二人で行くことも、三人で行くこともできる。 だが、最後の一歩は自分ひとりで歩かなければならない。
人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだと、 したり顔して教える苦労人が多いけれども、私はそうではないと思う。 私は別段、例の唯物論的弁証法に媚びるわけではないが、 少なくとも恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意思だと思う。
人生で最も良いものというのは、決して配給されることはない。 友情、忠誠心、愛は、配給券を必要としないものである。