アダムは自由が欲しかったから食べたのではなかった。 禁じられていたからこそ食べたのだ。
完全な自由というものは、 生きていても生きていなくてもまったく同じになったとき、はじめて得られるものなんです。
人は自由を得たのち、いくらかの歳月を経過しないと、 自由を用いる方法を知らないものだ。
人間は、時には自由であったり時には奴隷であったりすることはできないであろう。 人間は常に全面的に自由であるか、あるいは常に全面的に自由でないか、 そのいずれかである。
吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている。
ほんとうに大切な自由はただ一つ、「経済的な自由」がそうだ。
自由が生命・・・世界のどの民族よりも、 英国人は官僚的政治で支配されるのを承知しない民族だろう。 彼等の生命の血は自由だからである。
自由であることは、自由であるべく呪われていることである。
人間を自由にできるのは、人間の理性だけである。 人間の生活は、理性を失えば失うほどますます不自由になる。
もし自由社会が貧しい多数の人たちを助けることができなければ、 富める少数の人々をも決して守り得ないであろう。
立法者にしろ革命家にしろ、平等と自由とを同時に約束する者は、 空想家か、さもなくば山師だ。
小さな一時の安全を買い取るために大切な自由を放棄する人間は、 自由を受けるのに値しない。
間違いを犯す自由が含まれていないのであれば、自由は持つに値しない。
他人の自由を否定するものは、自ら自由を受けるに値しない。
われわれの自由とは、今日、自由になるために戦う自由な選択以外のなにものでもない。
山は動かざれども、海は常に動けり。 動かざるのは眠の如く、死の如し。しかも海は動けり。 常に動けり。これ不断の覚醒なり。不朽の自由なり。
互いに自由を妨げない範囲において、 我が自由を拡張すること、これが自由の法則である。