友情は永続的なものの感情を与え、恋愛は永遠的なものの感情を与える。 しかし、両者とも後に残るのものはエゴイズムだけである。
恋愛は恋愛によって始まる。 従っていかに強い友情からも弱い恋にしか移行できない。
ある年齢以後になると友人を選ぶよりは、 友人に選ばれる場合の方が多い。
友人同士は完全な平等のうちに生きる。 この平等は、まず第一に、 彼らが会ったときに社会上のあらゆる相違を忘れるという事実から生まれる。
友人の果たすべき役割は、間違っているときにも味方すること。 正しいときにはだれだって味方になってくれる。
われわれは恋愛を夢みるが、友情を夢みることはない。 夢みるのは肉体であるからだ。
戦争やってる遠くの国のことよりも友達の方が大切だと思うけどなぁ。
女が男の友達になる順序は決まっている。 まずはじめが親友、それから恋人、そして最後にやっとただの友だちになる。
友人同士は未来を語り合わなくても未来に再会することを確信している。 恋人同士は絶えず未来を語り合うが、未来は彼らの恋愛には無い。
山から遠ざかればますますその本当の姿を見ることができる。 友人にしてもこれと同じである。
恋人のいる人間に友情を注ごうとすることは、 喉の乾いている人間にパンを与えようとするようなものだ。
友人は服のようなものだ。 すり切れないうちに捨てねばならぬ。 さもないと、向こうがこちらを捨てる。
酒が作り出した友情は、酒のように一晩しかもたない。
友情は静かな月のように、太陽の現れない前の大空に輝く。 だが、恋の光を受けるとすぐに色褪せてしまう。
真の友愛においては、 私は友を自分のほうにひきつけるよりもむしろ自分を友に与える。
友人はあなたのためでなく、自分の利益のために忠告する。
人々は悲しみを分かち合ってくれる友達さえいれば、 悲しみを和らげられる。
信頼は、年を重ねた胸の中でゆっくりと育つ植物である。