お互い友人だといっても、それを信じるのは愚か者。 この名ほど世間にありふれたものはなく、その実ほど天下にまれなものはない。
女が男の友達になる順序は決まっている。 まずはじめが親友、それから恋人、そして最後にやっとただの友だちになる。
「最近は親しい友人にもだまされる」 「それが友人というものだ」
友情とは成長の遅い植物である。 それが友情という名の花を咲かすまでは、 幾度かの試練、困難の打撃を受けて堪えねばならない
悪党とつきあうのもいいものだ。自分の良さが分かる。
自分にとって大切なことは、 他人が自分のことをどう考えているかということではなく、 自分が彼らのことをどう考えているかということだ。
友人はあなたのためでなく、自分の利益のために忠告する。
友人の女房と寝てはいけないという。 しかし、それではいったい誰と寝ればいいのか。
人々は悲しみを分かち合ってくれる友達さえいれば、 悲しみを和らげられる。
しばらく二人で黙っているといい。 その沈黙に耐えられる関係かどうか。
十二才の時のような友達はもう二度できない……もう二度と…。
友情のための最大の努力は、 友人に我々の欠点を見せることではない。 彼に彼の欠点を悟らせることだ。
ヤギだの羊だのを各自がどれくらい持っているかは言えても、 友だちをどれくらい持っているかは言えない。
三人の信用するに足る友がいる。老妻、老犬、それと貯金。
一方からあまりに大きな重みをかけると、友情は破壊される。