恋する男と女が一緒にいて、少しも退屈しないのは、 いつも自分たちの事だけを話題にしているからだ。
人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだと、 したり顔して教える苦労人が多いけれども、私はそうではないと思う。 私は別段、例の唯物論的弁証法に媚びるわけではないが、 少なくとも恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意思だと思う。
恋の口説は、できるだけくどくて、長いほうがよろしい。 女の心というものは、決して石でできあがっているものではないのだから。
恋の悩みほど甘いものはなく、恋の嘆きほど楽しいものはなく、 恋の苦しみほど嬉しいものはなく、恋に苦しむほど幸福なことはない。
男というものは自分の愛している女を憎み、どうでもよい女を愛するものだ。
お前の唇は苦い味がした。 あれは血の味だったろうか?……いや、ことによったらあれは恋の味かもしれない。 恋は苦い味がするというから。
確かに世の中は不公平だ。美人や美青年がいる一方で、あなたがいる。
だからなんだ!? それを嘆いてどうするの?
恋愛は人情の永久的な音楽であり、青年には希望を、老年には後光を与える。
恋とはサメのようなものだ。常に前進してないと死んでしまう。
男が他の女に恋をしたら、もうなんとも手のほどこしようがありません。 人生とはこんなものです。 どちらに罪があるといった性質のものでは無いんですもの。
男がもっとも情を込めて愛している女は 必ずしも一番愛したいと思っている女ではない。
若き日の恋なんてな、 老いたる男が老妻に抱く愛に比べたらまるで軽薄じゃよ。
恋愛では信じてもらうことが必要であり、 友情では洞察してもらうことが必要である。
若者よ恋をしろ、身分やお金はないけれど、恋すりゃ希望が湧いてくる。
女が君を愛すると誓っても、必ずしも信じるわけにはいかない。 しかし君を愛さないと誓った時にも、やはり信じすぎないほうがよい。
友情は永続的なものの感情を与え、恋愛は永遠的なものの感情を与える。 しかし、両者とも後に残るのものはエゴイズムだけである。
女性の愛というものは、相手に自分を捧げることによって完成され、男性の愛は相手から奪うことによって完成される。