老年は男女間の友情に最も適した時代である。 なぜなら彼らはその頃には、 ちょうど男であり女であることを止めてしまったからである。
楽しく生きていきたいなら、 与えるための袋と、受け取るために袋を持って行け。
恋は小鳥のように小枝に止まり、歌を聞かせて人をうっとりさせる。 そして、恋が、飛び立つ翼を持っていることを忘れさせる。
男はある女の愛人でありうるときには、その女の友人である事はない。
人は、他人と違っているのと同じくらい自分自身とも違っている時がある。
不幸はこれを語ることによって軽くすることができる。
友人の失敗には目をつぶれ、だが悪口には目をつぶるな。
だって治療にはとても金がかかるよ。 だから、どうせ死ぬと決まっているなら、その金を蓄えておくほうがよい。
青年よ、大志を抱け! それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、 また世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。 人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるため、 青年よ大志を抱け。
人間は心の底ではまったく死を嫌悪していない。 死ぬのを楽しみにさえしている。消えてゆくランプに苦しみはないのである。
青年は完全なるものは愛さない。 なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、 彼を怒らせるか退屈させるからである。
世間一般の考えに従って生活することはごく易しい。 また、自分の事だけ考えて孤独の生活を送る事もごく易しい。 だが悟りを開いた人間とは、群集の真っ只中にありながらも、 自立の醍醐味を心ゆくまで味わうことのできる人間である。
自分にとって大切なことは、 他人が自分のことをどう考えているかということではなく、 自分が彼らのことをどう考えているかということだ。
友人の果たすべき役割は、間違っているときにも味方すること。 正しいときにはだれだって味方になってくれる。
「ダメね。40歳にもなってこれじゃあ」 「こうでなきゃいけないってことなんかないよ」