結婚したらいろいろ分かってきますよ。いままでは半分謎だったことが。
「明日は、明日こそは」と、 人はそれをなだめる。この「明日」が、彼を墓場に送り込むその日まで。
私には、これから一生やっていけるだけの金がある。何も買わなければ。
死は孤独であるかもしれない。 しかし、生きているほど孤独であるはずがない。
なんのために人間は裕福でなければならないのか? なんのために彼には高価な馬が、立派な服が、美しい部屋が、 公共の娯楽場に入場する権利が必要なのか? すべてはこれは思考の欠如からきている。 こうした人々に、思考の内的な仕事を与えよ。 さすれば彼は、もっとも冨裕な人々よりも幸福になるだろう。
ああ、金、金! この金のためにどれほど多くの悲しいことがこの世に起こることであろうか!
光の街があるなどということは嘘だ。 世界が一つのかがり火になるなどということはない。 すべての人が自分の火を持ってるだけ、 孤独な自分の火を持っているにすぎない。
ああ!青春!―― 人は一生に一時しかそれを所有しない。 残りの年月はただそれを思い出すだけだ。
ロマンチックな恋だけが恋ではありません。 本物の恋とは、オートミールをかき混ぜる行為のように平凡で当たり前なのです
人間はまだ十分に幸福ではなかったからこそ死を恐れるのである。 最高の幸福に恵まれれば、すぐに死にたいと思う。
少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。
三度炊く飯さえ硬し軟らかし思うままにはならぬ世の中
習慣は偽りの友を作る。あたかも機会が偽りの恋人を作るように。
人生で最も良いものというのは、決して配給されることはない。 友情、忠誠心、愛は、配給券を必要としないものである。
人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだと、 したり顔して教える苦労人が多いけれども、私はそうではないと思う。 私は別段、例の唯物論的弁証法に媚びるわけではないが、 少なくとも恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意思だと思う。
馬で行くことも、車で行くことも、 二人で行くことも、三人で行くこともできる。 だが、最後の一歩は自分ひとりで歩かなければならない。