青春時代にさまざまな愚かさを持たなかった人間は、 中年になってからなんの力も持たないだろう。
女に懲りるのは一度でたくさん。だれもがそう思いながら二度三度と繰り返す。
彼らにとって絶対に必要なものはお互いだけで、 お互いだけが、彼らにはまた充分であった。 彼らは山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。
結婚の契約をしてからでなければ恋をしないというのは、 小説を終わりから読み始めるようなものである。
「君の話すことは、全部本に書いてある。君から学ぶことは何もない」
世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ。
毎日自分に言い聞かせなさい。 今日が人生最後の日だと。 あるとは期待していなかった時間が驚きとして訪れるでしょう
恋愛をして分かることの一つは、 時間というものは一定の速度で過ぎていかなければならぬということです。
私は決して拒絶しないし、決して反対しない。 忘れてしまうことは時々ある。
生きたいと思わねばならない。 そして死ぬことを知らねばならない。
人生は山登りのようなものさ。 登っている間は人は頂上を見ている。 そして自分を幸せと感じるが、上に着いたが最後、たちまち下りが見える。 終わりが、死である終わりが、見える。
不幸はナイフのようなものだ。 ナイフの刃をつかむと手を切るが、とってをつかめば役に立つ。
結婚は雪景色のようなものである。 はじめはきれいだが、やがて雪解けしてぬかるみができる。
自分自身を愛することは、 一生涯続くロマンスを始めることである。
私は女性が愚か者であるということを否定はいたしませんが、 全能の神は男性につりあうように女性を作られたのです。
残念なことに、私達は愛するものと戦わなければならない。 恋においても、母親としても。
情熱的に恋したことのない男には、 人生の半分――それも最も美しい半分が隠されている。
女というものは、自分の美貌のために犯される行為ならば、悪い行為でも許す。
与えようとばかりして、もらおうとしなかった。 なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。 ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては。